コラムのコンセプト

現象だけを見ていては、何も解決されません。
調べて、議論をして、分析をして、
知識を深めなければ、本質は見えてこないのです。
このコラムでは、有識者の方々の経験や知見を通して、「情報品質」の本質を探っていきます。

官と民が紡ぎだす「情報品質と社会的責任」 第2回

 

読売新聞 元論説委員

UCDA理事 永井順國

官と民が参加する「新しい公共」

 このところ、「新しい公共」というキーワードが定着してきています。1995年の阪神・淡路大震災における、ボランティアの大量・自然発生現象をきっかけに、このキーワードが生まれ、次いで大きなうねりとなり、それがやがて、1998年のNPO法(特定非営利活動推進法)の成立につながっていく。市民ボランティアや企業と行政とがパートナーシップを組む、そうすれば、社会課題の解決に大きな力を発揮する。そうした効果を目の当たりにしたからでした。そのころ、民間のNPO・ボランティア団体の関係者の間で、しきりに使われ始めたのが、この「新しい公共」、あるいは「もう一つの公共」という言葉でした。

 かつて、日本においては、「公共」あるいは「公」は、イコール「官」とみなしがちでした。それは、「民」の側が政府や行政などの「官」に対して、「従う」、「頼る」、「依存する」傾向にもつながっていきます。また、それがいつしか裏返しの「官」による「抱え込み」になり、「公、つまり公共事業や公共サービスは官の独占物である」という誤解が生まれ、一般に広がったと考えられます。かつて「お上」という言葉が存在したのも、その一つの現れと言っていいでしょう。

 こうした傾向に対して、行政が公共に対して、公平・中立を原則に一定の責任を持つのは当然だが、「民」もまた、主体的に「公(パブリック」に参加・参画し、行政と連携・協力、あるいは「協働」してことに当たるべきであり、官にのみ依存する「私生活主義」は許されない、という認識が広がってきた経緯があります。

 言い換えれば、「新しい公共」は、従来は官が独占してきた領域を、広く「公(おおやけ、あるいはパブリック)」に開いたり、官だけでは実施できなかった領域を官民協働で担ったりするなど、市民、NPO、企業が公的な財やサービスの提供に関わっていくという考え方です。

 「新しい公共」が目指す社会は、国民の多様なニーズにきめ細かく応えるサービスが、市民、NPO、企業などにより無駄のない形で提供され、人に役立つ幸せを大切にする社会、満足度の高い社会、と言っていいと思います。

第3回に続く