「第三者」による客観的な評価

02:元原 利文(前篇)-2

UCDAトーク02:元原 利文(前篇)-2

●「悪文」から脱却し、「読めばわかる」法律へ

写真元原:しかし、戦前にも開明派といわれるような先駆者たちはいました。東京大学の穂積陳重※1先生は、昭和7年頃には既に法律の口語化(こうごか)を提唱しています。また、裁判官でも三宅正太郎※2さ んという方が「判決文も口語で書こうじゃないか」「地名はわかりにくいから片仮名で書こう」と提唱なさっています。今でこそ高い評価を受けていますが、戦 前には賛同する人がほとんどいませんでした。「なにを独りで突飛なこと言っているのだ」と受け止められていたんですね。
それが戦後の大変革で民主主義の法になり、「法律というものは国民の、国民のための法律でなければならない」となった結果、口語で句読点も入れ、平仮名 混じりで書こうというように変わってきたのです。三宅さんのような先駆者がいたからこそ現在がある。10年も20年も経って、「あの方がおっしゃっていた ことは事実だった」と初めてわかった。そういう経過があるのです。
福田:われわれは理解できていませんが、昔から比べたら随分よくなっているということですね。
元原:戦前の法律も、順次機会があるたびに書き直しをするようになりました。新しい法律をつくるときはわかりやすい表現を使うようになり、最近は読めばだいたいわかるようなものになってきています。
福田:なるほど。以前は「お上」の側だけを向いていた法律が、生活者の立場というものを考えた文章になってきているということですね。
写真元原:ええ。だから判決文もわかりやすいものになっているのです。びっくりすることに、戦前の判決を見ると、句読点なしで原告がこう言ったと長く書き連ね、1つの文章が4,000字にも及ぶようなものまでありました。
福田:それはちょっと私たちには読めないですね。
元原:読めませんね。1文が何千字にもわたる文章がおかしいと言い出されるようになったのは戦後になってからです。戦 前はそれが当然のことのように思われていましたし、逆に、いかに句読点なしで長く書けるかという技術が裁判官の腕と思われていて、そんなものを専門家は 得々として書いていたわけです。そういう時代だったのです。  普通の文章のように簡潔に短く書きなさいということになってきたのは、戦後になってからのことです。国語学者の岩淵悦太郎※3さんの著した『悪文』(日本評論社)でも、悪文の典型的な例として昔の判決文が挙げられていますよ。

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