「第三者」による客観的な評価

03:永井 順國(前篇)

UCDAトーク03:永井 順國(前篇) 今、言語の力がコミュニケーションを救う

●半数以上が高学歴者の現在に

写真 ― 本日は、「伝える」ということについて、教育と言葉の両面からお話しいただきたいと思います。
福田:最近は昔に比べると教育でゆとりや豊かさが大切にされるようになり、我々が学生だった時代とはずい ぶん違ってきています。それ自体は良いのですが、ちょっと気になるのが競争意欲の低下です。切磋琢磨して前向きに取り組む姿勢がどうもなくなってきている ように思えるのですが。
永井:確かに、かつてのような上昇志向、古い言葉を使えば立身出世志向ですが、そうしたものに基づく勉強 はまったく通用しなくなりましたね。しかも当時の上昇志向は自分の親を基準として、より高い収入、より高い地位、より安定した生活を求めるものであり、学 歴によってそれが得られる時代でした。もちろん、期待感に応えるような雇用システムがありました。しかし、今はどうでしょうか。
また、大学の教育の有り様も我々の頃とはまるで違ってきています。例えば1960年の大学進学率は約7%、戦前の1941年は約3%です。1割以下の者 しか4年制大学に行きませんでした。今、大学進学率は短大も含めると約52%、さらに専門学校などを加えると、高等教育機関への進学率は実に7割を超えま す。こうなると高等教育機関に入っても「なんのために勉強するのか」という、そもそもの動機自体が曖昧になりがちになる。しかも「平和と安定の時代」が続 いて、かつてのように「より良い社会をつくっていこう。そのために自分は大学にいるのだ」という考え方をするものも激減しています。
写真福田:確 かにそうですね。一方で、しつけや基礎教育のような絶対に必要なことをどこがやるべきなのか。学校か、社会か、それとも家庭がやるべきなのか。いずれにせ よお互いに必要なところを連携してやっていく必要があると思います。我々企業でも教育のウェイトをどんどん高めていかなければならない。とはいえ、やはり 学校教育が前提になる。そうした教育とは自主性を重んじるようなやさしいものではなく、半強制でスパルタ式にぐいぐいやる必要がある、というのが私の勝手 な持論なんです。
永井:それは正しいことだと思いますね。「義務教育」という日本語は、明治期に英語の「Compulsory Education」を訳して制度化されたものです。「Compulsory=強制、強迫」ですから、まさにそのものズバリです。

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