「第三者」による客観的な評価

05:矢口 博之-2

●進化すると技術は見えなくなっていく

写真矢口:70 年代後半の頃のコンピュータはマスターコンピュータをスレーブ端末で操作するというもので、コンピュータと人間の関係はまさに御主人と奴隷でした。対して 今のコンピュータは全てネットで繋がっていて、クライアントとサーバーという対等の関係になっています。コンピュータと人間が一緒に協力しあってお互いを 助け合おうという方向へと、考え方もコンピュータの設計も変わってきています。また、コンピュータの性能が上がってコストも安くなったことにより、以前は 必要な計算以外は出来なかったのですが、あまった力を使いやすさのほうに使えるようになりました。それで気持ちや感性という「ハイタッチ」まで考えられる ようになったわけです。グラフィックを使ってマウスで操作できるようになったり、色も8色までしか出せなかったのが現在では30万色まで可能になったりし て、画像もキレイになりました。単なる仕事の道具だったコンピュータが、気持ちを表現することもできれば、絵を描く創造のキャンバスになったり、音楽をつ くる五線譜の役目を果たしたりと、人間の創造性を刺激するものにまで進歩してきているわけです。
写真福田:コンピュータが技術という範囲を超えてきた、それによって豊かな社会が実現していくことになるのでしょうか。
矢口:人や社会を豊かにする技術というのはその存在を使う人に意識させないことが必要だと思うんです。その点でいえば、コンピュータもようやく意識せずに使える段階になってきたのではないかと思います。
紙に置き換えて考えてみましょう。一般の人にとって紙の印刷物はなんでもないものだと思ってしまっていますが、実はものすごいテクノロジーが内包されて います。たとえばペラッと剥がして内容を読むハガキなども、実はものすごい技術の集積によって実現されているものですよね。
福田:ポステックス*ですね。
矢口:コンピュータも同じで、ものすごいテクノロジーの塊なのに使う側は意識せずに使えるようになりました。技術が本 当に進んでしまうと技術の姿自体は見えなくなって、そのすごさすらわからなくなります。勉強しなければ使えない時代から、意識せずに誰でも使える時代へ変 わってきたということは、やはりコンピュータが豊かな社会の実現に貢献できるようになってきたということではないでしょうか。

保護中: UCDAトーク

  • Hatena
  • Google+
  • facebook
  • twitter
ページトップ