「第三者」による客観的な評価

02:元原 利文(後篇)-4

●法律にも不可欠なユニバーサルなコミュニケーション

写真福田:なにか事件や事故が起きると、私たちはどうしても専門の方々にアドバイスを受けたりお願いしたりすることになります。というのも法律の言葉は非常に難しいからです。しかも理解が一つだけではなくいくつもある場合もある。
例えば身近な例で「事務」とは何ぞやといっても、かつては「読み書き算盤」だったけれど、時代とともに内容が大きく変わっています。日常使っている「納 品」という言葉もどの段階を指して納品というのかが非常に難しい。トラックが工場を出た時なのか、お客様のもとに到着した時なのか。自分なりに解釈をして 自分なりのスタンダードとしているところがあります。言葉そのものも解釈が多岐にわたるものが多く、深く追求すると頭が混乱しそうです。
元原:言葉はツールですから、解釈はいろいろ有り得るものです。業界ごとに言葉の解釈が違う場合もありますし、その場合はその業界でどのように使われているかを念頭に置いて解釈しなければなりません。
法律の条文も同じです。それで裁判官が「この法律はこういう解釈だ」と決めてくれていたのですが、昔に比べて今の法律はどちらかというと簡易化されて平明になっているのは間違いないと思います。
昨年から始まった裁判員制度でも、一般の方が刑法の解釈を出来るように国の方で手当てをしています。というのも、刑法で使う言葉には非常に特殊なところ があるからなのです。たとえば「未必の故意」という言葉があります。人を殺(あや)めようという確定的故意ではなく、必ず殺してやろうと思ったのではない けれども、死んでしまうならそれでも仕方がないと思って行うことが「未必の故意」です。迷ったが「やる」という意思の方が強かったというものです。
このように今まで使われてきた言葉を一つひとつ解釈してやさしく言い換えるという作業を日本弁護士連合会が行いました。これは一定の成果を挙げ、本として出版しています。
福田:すると、やはり法律の世界でも、一般の生活者に対するコミュニケーションという視点も加えられているのですね。
元原:そうですね。でないと本当の生きた法律にはなりません。一方の当事者しか理解しないのでは、本当の意味で納得のいった合意にならないからです。共通の理解に立ち、納得して合意をする。それが本当だと思います。その手助けを誰かがしないといけません。
写真福田:となると、我々は「法律は難しい」などと逃げていたらいけないですね。
元原:そうですね。「わからない」というわけにはいきません。「わからないのはなぜだろう」と解決する方策を考えなければいけない。わかっていただくための方策を提示するのがユニバーサルデザインだと思うんです。
福田:法律も、人にやさしく、わかりやすくするためにいろいろな工夫を凝らす方向へと向かっているのですね。本日はありがとうございました。
元原:ありがとうございました。
—法律とそれに関わる分野でもユニバーサルな視点が取り入れられていることを強く感じました。視野を広げ、分野を超えた知恵を生かしていくことが「わかりやすさ」の貢献に繋がるのだと、あらためて感じました。本日はありがとうございました。

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