「第三者」による客観的な評価

03:永井 順國(前篇)-2

●教育の芯にある「当たり前のこと」

写真永井:要 するに、義務教育の基本にあるのは「将来の社会の構成員となる今の子どもをどう教育するか」ということです。そう考えれば、否でも応でも覚えてもらわなけ ればならない。「右」という字は、北は北海道から南は沖縄まで同じように書く、1+1=2から、3×3=9といった基本的な計算ができる。読み書きソロバ ン、英語では「3R‘s」、こうした基本は何が何でも習得してもらわないと社会全体が困るのです。本来はこの核となる部分があって、中学、高校と経るうち に「僕はこれをやりたい」と個性的な学びが生まれ、その延長線上に大学があるのです。
福田:書く能力、読む能力など基本の部分は誰でも理解できるように、勉強ができてないといけないわけです ね。法律が難しいとか、契約書がわからないという以前に、まずは生活者自身が基本的な理解できる能力を持っている必要がある。そもそも、その前提がないと 議論にならないですからね。
写真永井:な により社会が成り立ちません。たとえば「人を殺してなぜ悪い」という質問にどう答えるかと真面目に議論する人々が学者も含めて存在しています。しかし、そ んなものは真面目に議論する必要などありません。「いけないことはしてはいけない」というのは当たり前、理屈で説明しようとしても説明しきれるわけがな い。
そういう有無を言わせない部分をどこかに持っていないと教育もしつけもうまくいきません。そこを芯としてやさしさがあり、愛情の注ぎ方があり、たっぷりと 依存を体験できるような仕組みをつくっていかなければならない。言い換えれば、「自律は他律の中で培われていくもの」だと思います。
福田:企業としてもいろいろ考えなければならない部分ですね。しかし、最近では何か徹底しようとすると、 図やイラストを使いながら直観的に理解できるように工夫しなければならない時代になっています。文章だけでは読んでもらえなかったりするので。特にマニュ アルなどはそうですね。理解しづらいものが多くて、私自身もいくら読んでもどうも理解できないと思うものが結構あるんです。

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