「第三者」による客観的な評価

08:きたやまようこ-4

●犬のように付き合いたい

写真きたやま:大 人はよく子どもに向かって「人の身になって考えなさい」と言いますけれど、大人自身は自分が自分以外のものになる発想はふだんはなかなかありませんよね。 自分以外のものになることによって自分が見えてくる。人間が犬になることで「人ってなんなのか」が見えてくるのです。
福田:なるほど。
きたやま:なにか一つの発想の転換になればいいなと思って作りました。幸せか不幸せかは状況でなく感じ方、考え方だと思います。発想の角度をクルッと変えれば、今まですごく不幸だと思っていたことも違って見えたりしますよね。
福田:それにしてもすごい本だと思います。誰にでも役に立つ指南書です。ところで、私も犬を飼っていまして、犬というのは日本語がわかっていますよね。
きたやま:もちろん、わかっていますよ。
福田:でも、私と女房が同じ言葉を使っても、犬は違って受け止めるんですね。動作やジェスチャーも含めてコミュニケー ションになっているのだと思いますが、これは人間対人間でも同じことが言えるように思います。つまり、コミュニケーションは発する言葉だけではないのでは ないか、と。
きたやま:ええ、そう私も思います。人間って尻尾を振っているのに心の中ではニコニコしていなかったりしますよね。で も犬は尻尾を振っていれば絶対に咬まないし、用心しているときは尻尾をちょっと下げて耳を寝かせていますから、こっちも用心しなければいけないとわかりま す。犬のように感情表現をシンプルにしながら付き合えば誤解は生まれません。
写真福田:そ の通りですね。先生は自分が受けた深い感動を読者に伝えるための方法として、第一にその出来事をストレートに表現することで、第二は違うフィクションを作 りあげて伝えることだと書いていらっしゃいました。しかもフィクションの場合は、現実よりもリアルでないと伝わらないとおっしゃっていますが、私も同感で す。まさにコミュニケーションの最善の方法だと思います。というのも、現実はその通り表現しようとしても、どうしても無理があるからです。
きたやま:いちばんわかりやすいのは、自分がいちばん伝えたいものを的確に、余分な部分を排除していくことだと思います。
福田:それは全てのことに言えると思えます。
きたやま:そうですね。

福田:それが描き込みすぎない、風通しの良い本ということになるのですね。

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