「第三者」による客観的な評価

07:尾畑 雅美-3

ものの理解力は読書量で決まる

写真福田:それを誰もが理解しやすい言葉でビシッと喋る、と。
尾畑:具体的にね。
福田:政治の世界でもそれがいちばん大事だ、と?
尾畑:大事です。政治というものには、日本の国民のレベルが反映されるんです。政治家だけが悪いのではなくて、国民がよくわかるようにならないと政治も良くなりません。
福田:政治も「わかりやすさ」ですか。
尾畑:ところが現在、デジタルの時代になったが故に、同時にたくさんの情報がワーッと出るようになってしまいました。統制が利いていない情報が溢れかえっている状況です。こうなると情報に接しただけではどうしようもありません。
福田:情報をどう理解するか、ですね。
尾畑:そうです。私がNHKにいた時代は、練りに練ってから情報を発信していました。だから間違いのない 情報を送れたわけです。ところが今は歯止めなく情報が流れ出して、誰もがたやすくあらゆる情報に接することができる。でも、接しただけで理解したと思って いたら大間違いです。それをどう理解するかという、個々の教養が問題になります。
福田:一人ひとりが勉強せなあかん、というわけですな。
尾畑:たくさん本を読み、自分と違う考え方をたくさん見て、あらゆる角度から目を養う必要があります。そ うでないと、とめどもなく流れだすものに接することで、情報と接していると勘違いしてしまっている。そうした状況だと、今の政治のように全体の意思がはっ きりしなくなって、どこに行くかわからなくなってしまう。
だからやはり一人ひとりが勉強しないと。読んだ本を積み上げた、その高さにおいて世の中は見える、と河合隼雄さんが言っていました。たくさん読まないと世の中は見えてこないんですよ。
福田:僕の場合は、本はたくさん買っていますが、読んでないものがたくさんある。これではちょっと駄目ですね。
写真尾畑:い やいや、買わなければ読みませんからね。買って帰ろうというのは、やはり向上心があるわけです。難しい本を読む必要はないと河合さんも言っていましたよ。 小説を10冊読めば、自分と違う10通りの人生を味わうことになる、100冊読めば100通りの人生を味わえる。それが見る目になる。単純な目で見ないよ うになる。
福田:そうですね。
尾畑:私だって昔から難しい本は読んでいませんよ。雑学ばかり、ほんとにくだらない本ばかり読んでいる。
福田:そうして考えてみると、やはり活字文化というものは本当に大事なものだと改めて感じますね。

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