「第三者」による客観的な評価

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03-1:その文章、何とかしたい!-3

03-1:その文章、何とかしたい!

どこがどうわかりづらいのか。
文章に求められた評価基準

写真永井  文章のわかりにくさが問題になってきた背景には、日本語能力の低下だけが原因ではなく、意識の変化もあると思います。たとえば昔は、役所の文書はお上意識 で「わからない方が悪い」という考えでした。企業の消費者に対する姿勢もおおかた似たようなところがあったでしょう。しかし、いわば消費者主権主義が広 がって、わかりにくいものを直さざるをえない状況になってきたと思います。無論、日本語は絶えず変化しているという側面もあるとは思いますが。
八杉 おっしゃる通り、わかりにくさが問題になる背景には、ユーザー中心の世の中になって、市民の声が強くなって きたことがあると思います。さらに活字離れも、読む物の量が増えすぎたのも原因。たとえば取扱説明書の場合、製品自体が複雑なために必要な説明が多すぎる とUCDAでは指摘しています。そこでUCDAでは、「見やすく、わかりやすく、伝わりやすく」ということで、認証制度などを通じて、金融機関の文書の改 善といった取り組みを行ってきました。認証には、数値で表せる客観的な指標「DC9ヒューリスティック評価項目」を用いてきたわけですが、そのなかの1項 目「テキスト(文意)」について、さらに見直しを迫られました。ある銀行の住宅ローン申込書を評価する際、DC9に基づいて評価し、問題点を指摘して改善 をしていただきました。そのうえで、最後に生活者の方3名に見てもらうのですが、そこで「この用語がわかりにくい」と指摘がありました。DC9では、わか りにくさの原因特定の項目がデザインやグラフィックに関して8つあるのに、文章に関しては1項目だけ。「文章についてもっと細かく見ないといけない。なん とかしなくては」と、小田さんたちと話し合ったわけです。
小田 特に生命・財産に関わる情報の場合、「(デザイン面で)わかりやすい気がしていたけど、読んでみるとわかりにくかった」というのでは問題ですからね。
八杉 「見やすく、わかりやすく、伝わりやすく」の「見やすく」はビジュアルですが、「わかりやすく、伝わりやす く」は文章による部分が大きいですね。文章の改善は最後の難関でした。そもそも「見やすい、わかりやすい、伝わりやすい」は比較級なので、基準がないとい けない。DC9でも、ただ「わかりにくい」というのでなく、人間の認知に関わるために評価しづらいものを、数値で客観的に表したり、確実にわかる基準を設 けたりしました。人間工学の立場から測定などで研究を積み重ねている専門家と、日本語研究者が組んで日本語部会が発足しました。UCDAという枠組みで新 たな基準づくりをしたのが「文章DC9」というわけです。
小田 企業も行政も、わかりにくくしようと思って書いているわけではないですから、ただ単に「この文章はわかりに くいから直してください」と言われても、どう直していいのかわからないのですよね。たとえば、学校の国語の試験に5択問題があったとします。国語が得意な 子どもには「この3つはおかしいから、残りの2つのどちらかが答えだ」とわかるけれど、苦手な子は納得できない。国語の試験問題や文章特有の「どうして、 これがダメなのかわからない」というところを、ストンと腑に落ちるようにしたいと考えたのです。
八杉 DC9は、専門家が気付くスピードと経験則を利用しているのですが、専門家の主観を客観に置き換えてお客様 に理解していただくために、指標やスコアを使う必要がありました。そうすればお客様が改善に取り組みやすいこともわかりました。文章でも、ただ「わかりや すく直してください」と指摘するだけでなく、改善のために評価するという原則で、「文章DC9」も作成されたのです。

文章DC9ヒューリスティック評価法 ver.1.0 概要
図

コメント:座談会に寄せて
元原利文(UCDA理事/元最高裁判所判事/弁護士)

写真1.日本語表現能力の低下

受験生や大学生の日本語の表現力の低下は、多くの試験官や教官が指摘されているところです。誤字、当て字が多い上に、論旨が一貫した文章全体の表 現力の低下も見られます。国語教育の内容に配慮すべきところがあると思われますが、何よりも、最近の通信機器の発達で、簡単な言葉で相互の意思疎通をする ことに慣れ、じっくり構想を練り、推敲を重ねて表現をする訓練を受ける機会が不十分なことが、原因の一つではないかと考えています。
また、学校教育の現場で、優れた日本語で表現された書籍に数多く触れる指導をされることも必要でしょう。
2.専門家以外の方が書かれたマニュアルの利点
私の周囲でも、電子機器に普段余り触れられないお歳をめされた方が、スマートフォンの入門者向け講習に出られたところ、カタカナの続出で頭が混乱してし まったとこぼされていました。テキストを読みますと、殆どが日本語で十分説明できる箇所でした。弱者、消費者の目線で説明がされていない文書が、今なお多 く流布しているのではないかを窺わせる出来事でした。
3.文章に求められた評価基準
小説、随筆のように、多分に主観や感情が盛られた文章とは異なり、我々が日常接する文書は、意思の伝達を中核とするものですから、当事者の間で意思の疎 通がどの程度成功しているかを見極める為の基準を作る試みが「文章DC9ヒューリスティック評価法」の策定であると理解しています。この運用を通じて、内 容が更に充実していくことを期待しています。

<文章DC9開発者座談会 第2回へ続く>

 

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