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企画コンセプト

ローマ神話では、学問発祥の地、アテナの近くに「ミネルヴァの森」というものがあったとされています。ミネルヴァとは、知恵の女神の名前で、つねにフクロウを従えていたことから、フクロウもまた知恵の象徴です。
この企画では、理事長の在間稔允が、長年活躍されてきた各界の賢人の方々(フクロウたち)に、これからのUCDのあり方についてお聴きします 。

ゲスト:永井順國(ながい・よりくに)(UCDA 理事、政策研究大学院大学 客員教授)

プロフィール  読売新聞社記者・論説委員(主に教育・文化担当)、女子美術大学教授を経て現職。中教審初等中等教育分科会、制度分科会、大学分科会、スポーツ・青少年分科会委員、文化庁古墳壁画の保存活用に関する検討会委員などを歴任。現在、文部科学省フリースクール等検討会議座長、放送大学教育振興会理事、放送大学番組委員会委員、国立青少年教育振興機構運営諮問委員などを務める。主な著書に、「学校をつくり変える―『崩壊』を超える教育改革」「英国の『市民教育』」などがある。

子どもの頃からコミュニケーションツール獲得の訓練をすることが大事

―ニュースなどを見ていると、若者たちの日常会話には、独自の新しい言葉が出てきて面白いと思います。ですが、社会人になったときに、契約にかかわるような難しい文章をすんなり理解できるのだろうか、と感じることがあります。教育者でもある永井先生から見て、いかがでしょうか。

永井順國(ながい・よりくに)若者たちの感性には非常によい点がありますので、大事にするべきだと思います。ただ最近、ものの言い方が、断片的、短絡的、断定的になっていて、全体の意味や背景がわからず、踏み込んだ内容になっていないと感じることもよくあります。
人間というのは、本来、コミュニケーションの動物です。伝えたつもりのことがきちんと伝わっていなければ意味がない。そのために、相互に理解するためのやりとりとコミュニケーションツールをしっかり身につける必要があると思います。
たしかに若者は、彼らの間だけで通用する言葉も含めて、非常に感性豊かな言葉で話している。ですが、社会人になった際に、社会全般に対する一定の大局観や、さまざまな業界内部の用語、その背景にある法律用語などに一定以上の理解がなければ、自分の仕事の内容をクライアントに伝えることも、商品をコマーシャルすることも売ることもできない。そういう意味で、コミュニケーションツールを獲得する訓練は、若者にかぎらず誰もが必要なことではないでしょうか。

—永井先生は、日本の教育制度では、理系にいくと人間文化に関する勉強がおろそかになり、文系にいくと論理的に考えることが苦手になる傾向があるので、早い時期にどちらかを決めてしまうのはよくない、とおっしゃっていますが。

一昨年、ある小学生全国大会の審査員をしました。その中で、作文と面接の審査があったんですが、小学5年の男子の面接をした際のことです。塾に通っていると言うから、何を勉強しているのかを尋ねたら、「僕は文系ですから」と言ったんです。びっくりしました。私はもともと、高校1年が終わるか終わらないかで文系・理系に分かれ、その後は選択しなかった科目に触れぬまま社会人になってしまうことに問題意識を持っていました。それは、バランスの取れた思考、ひいては表現力に関わることなので、あまりよくないとかねがね考えていたのです。それが小学生の時点でそんなことを決めるなんて、すごい時代になったものだと思いました。
文章の書き方には、たしかに文系・理系の特徴があるかもしれません。しかし、バランスのとれた考え方ができるようになるには、不得意でも両方をある程度学んでいることが大事です。
小学生で勉強がどちらかに偏るというのは、怖いことだと思います。

「難しいことを易しく、やさしいことを深く、深いことを面白く」(劇作家:井上ひさし)

在間理事長—最近では、消費者保護ということがしきりに言われています。そういったことを整備するために法律が定められますが、法律というものは内容が非常に難しく、一般人にはわかりにくいものです。

たしかにそうです。ただ、法律の文章というのは、非常によくできています。長くて、句点もなかなかこなくて、ややこしい。ですが、きわめて正確に書かれているのです。一般の人には、なかなか理解できませんが。
ですから、一般の人に法律について伝える場合、トランスレート(通訳)する係の人が必要になります。私は以前、司法記者クラブに所属したことがあります。5年ほど法廷記事を書いていましたが、読者にわかりやすく伝えるために苦心しました。
「法律用語はむずかしくて、おかしい」とは考えず、正確な文章だということを踏まえた上で、さまざまな保険の契約、重要事項説明書など、法律に基づく文書をわかりやすく書く工夫をすることが大事なのではないでしょうか。

UCDnoMori1_4小説家、劇作家で文化功労者の故井上ひさし氏は、生前、文章表現のモットーとして、次のような座右の銘を残しています。

「難しいことを易しく、やさしいことを深く、深いことを面白く」

これはなかなか面白いと思います。私が所属していた読売新聞社が発行している『読売新聞 用字用語の手引き』という一般の人にも読みやすく編纂したハンドブックがあるのですが、記者時代はもちろん、いまでも手放せません。この中に、

「やさしいことを難しく書くのはやさしいが、難しいことをやさしく書くのは難しい。分かりやすい文章、記事を書くために、まず難しい言葉を使わないようにしたい。」

という、井上氏のモットーに似た内容が出てきます。
具体的には、以下の9項目に気をつけるように書かれています。

  1. 堅苦しい漢語・文語を避けよう
  2. 専門語やお役所言葉は言い換えよう
  3. カタカナ語を減らそう
  4. 略語を乱用しない
  5. 紋切り型の文章に気をつけよう
  6. 敬語はできるだけ簡潔に
  7. カッコの多用を避ける
  8. 重ね言葉は使わない
  9. 前の語を受ける「同」をできるだけ使わない

また、わかりやすい構成にするために、次のことも大事だと書かれています。

  1. 短い文章(主語・述語が1組、一文は長くても5行前後、60字以内)
  2. 文頭の字下げと改行
  3. 主語、述語を明確に
  4. 修飾語は短く、修飾される言葉のすぐ近くに
  5. 統一された文体(「です・ます」と「である・だった」が混在すると落ち着かない)

—この本は、現役記者の方たちも読んでいるのでしょうか。

もちろんです。私も原稿を書く時はいまでもよく参照します。こうした点に気をつけるだけで、非常にわかりやすい文章になります。

「余白の美」は読みやすさの仕掛け

永井順國(ながい・よりくに)以前、ある大学で教えていた時のことです。論文の課題を出したのですが、学生から提出された文章を見ると、ほとんど改行していないものが結構ありました。これはいかんと思い、私が書いた文章をパソコン上で修正して、文頭の字下げや改行をすべて外し、学生たちに渡しました。「これで君たちは内容を理解できますか?」と。
文章を書く時は、文頭を一字下げて書き出す。句点のあとに余白があり、改行して、また一字下げて書き始める。こうした余白部分をただの空白と考えてはいけません。重要な情報がたくさん詰まっているのです。読み手は、段落のあとに、「しかし」とくるのか、「ところが」とくるのか、それとも「したがって」となるか、そこで話が転換するのか、めまぐるしく想像力を働かせながら読んでいるのですから。
そして視覚心理学的にも、余白があることが文章を読みやすくする仕掛けになっています。UCDAが取り組んできた、さまざまな企業・行政の文章改善でも、長くてわかりづらい文章を分割し、改行することで読みやすくなったものがたくさんありますよね。「余白の美」がしっかりあしらわれていないと、文章はきちんと伝わらないということです。

—そうしたノウハウは、頭でわかっていても、実際に書いてみないとなかなか身につかないものなのでしょうか。

そうでしょうね。私が新聞記者になった頃は、やはり考えながら書いていたと思います。何年か経験を重ねるにつれて、自然と書けるようになった気がします。

—わかりやすい文章を書くために、他に気をつけるべき点などはありますか?

さきほどの若者言葉にも通じますが、一定のコミュニティ内でしか通じない言葉を使うことは避けるべきでしょう。
たとえば、私は仕事柄、しばしば研究論文を読み書きしますが、研究者コミュニティでしか通用しない言葉がたくさんあります。自分と同じだけの知識を持っている人が読む場合はそれでいいですが、必ずしもそうとは限りません。読み手の立場に立ち、

  • 読み手はどの程度の予備知識があるか
  • 読み手は何を期待して、何を目的にその文章を読むのか

そういったことを考えた上で、表現の内容、方法、順序などに配慮しなければ、わかりやすい文章は書けません。難解な専門用語や分析手法などを説明する場合には、図表を用いたり、コラムで内容を補うなど、工夫をこらす必要があるでしょう。

—保険業界なら契約書などの書類を読む人、パソコンなら操作マニュアルを読む人など、それぞれの立場に立つ、ということですね。

そのとおりです。また、文章学でよく教わることとして、「事実と意見の峻別」が挙げられます。
以下は、木下是雄氏の『理科系の作文技術』(中央公論新社)から部分的に引用しますが、事実というのは証拠をあげて裏付けることができるものです。意見というのは、何者かが下す判断であり、それに同意する人もいれば、しない人もいます。この2つが区別されない文章では、論理のすり替えがなされるかもしれません。こうしたことに注意しながら文章を書くことは、ひとつの作法だと思います。

—お客さま向けの文章などは、どうしても過剰に敬語を使ってしまい、余計わかりづらくしていることも多いと思います。

そうですね。国会のやりとりも、テレビの世界も、敬語の使い方はおかしいです。たとえば「質問させていただく」などと言う必要はなくて「質問いたします」でいいんです。二重敬語やまわりくどい言い回しはせず、失礼のない範囲で簡潔に述べることが大事だと思います。

—ほかにも何かわかりやすい文章を書くためのコツはありますか?

さきほど少し話が出ましたが、単文、短文をこころがけることです。なるべく一文の主語と述語が1組で完結するように書くとよいでしょう。文章が長い場合は、2つに分けることができないかを考える。文章を切り、簡潔にすることで、全体にリズムが生まれます。
文章にリズムを出すのはとても難しいことです。私が新人の新聞記者だった頃、先輩に「お前たちは活字で飯を食っているのだから、常に活字を食べなければいけない」と言われました。ずいぶんと下世話な言い方ですが、活字を食べるというのは、多読、乱読でもいいから、日頃から活字を読み、文章を書く、ということです。そうしなければプロにはなれない、と。私はいまでも、通勤用、仕事用、寝床用と、常に3冊の本を同時進行で読んでいます。

—最後に、永井先生にとってUCDとはなんでしょうか。

最近はさほど頻繁に使われませんが、今世紀になって、「新しい公共」¹というキーワードが定着してきています。「官」と「民」のあいだには、厳然として「公(パブリック)」という概念が存在する、という考え方です。
「公(パブリック)」は「官」の独占物でもなければ、また「民」は「官」に依存する存在でもない、「民」の側も主体的に「パブリック」を形成すべきである、さらに言えば、「官」と「民」とが「協働」(コラボレーション、パートナーシップ)して、「新しい公共空間を想像すべきだ」という文脈で語られてもいます。
そして、「新しい公共」には、特定の人だけではなく多くの人が、わかりあえるコミュニケーションのデザインが必要です。それが、ユニバーサルコミュニケーションデザイン(UCD)だと思います。

—本日はどうもありがとうございました。

(2016.04.12 収録)

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¹小渕内閣時代に開催された「21世紀日本の構想」懇談会で提唱された言葉。それ以降、中央省庁の研究会などでも使用されるようになった。もともとの由来は民間であり、80年代にボランティア団体が「自分たちの活動は新しい公共を担うものである」と述べたのが始まりとされる。

引用文献
読売新聞社『読売新聞 用字用語の手引 第3版』、2011年。

 

理事長:在間稔允(ざいま・としちか)プロフィール

1946年 東京生まれ
1971年 東京大学卒業
味の素株式会社に入社
1999 年 味の素厚生年金基金監事 兼務
2006年 味の素株式会社を退職
2010年 一般社団法人 ユニバーサルコミュニケーションデザイン協会 監事
2011年 同    理事 就任
2015年 同    理事長 就任