「第三者」による客観的な評価

14:小川甲子-4

●お客様に育てられ、感動を共有

写真福田:サッカーのサポーターのように、宝塚の観客も公演への参加意識がある気がしますが、いかがでしょう。
小川:宝塚は学校制度をとっていますので出演者を全員生徒とよびますが、その生徒を育てていこうと思ってくださる お客様が沢山いらっしゃいまして、若い生徒たちにも一生懸命エールを送っていただいております。お客様も一緒に参加して舞台をつくり、若い生徒たちがどん どん伸びて良くなっていくのを楽しんで下さるのです。
福田:演じる側にも、何かを伝えたいという強い想いあるから観客と一体化していくのでしょうね。
小川:お客様の反応によって、「ここはこうしよう」と工夫したりすることによって舞台がどんどん盛り上がり、プロ ローグ、フィナーレでは客席からの手拍子があってキャッチボールみたいな感じです。まさに、舞台と客席が、とても深いコミュニケーションを繰り返している のです。私どもは夢を発信して、お客様は感動への期待感を抱いて観に来てくださる。義理でいらっしゃるのではなく、本当に観たいと思ってチケットを買って くださる方ばかりなので、すごくありがたいし、お客様も温かく見守ってくださいます。
写真福田:支配人として、お客様の声はどのように集約されているのですか?
小川:アンケートをとる場合もありますし、公式ファンクラブ「宝塚友の会」に寄せられた投書等を拝見します。そし て、ここは改善しよう、ここはわかりやすくしようというようにサービスに活かしています。お客様の声は、私たちが気づかなかったことを教えてくれますし、 私たちに元気を与えてくれます。最近は被災された方が観劇にみえて、「神経がピリピリしているなか来てよかった。ありがとう」「みなさんに頑張っていただ いたおかげで希望をもらえました」などの声をたくさん頂戴しました。震災後、4月の公演は、10人くらいの生徒が舞台衣装のまま募金箱を持ってロビーに立 ちました。いまは舞台上から挨拶をしてロビーに募金箱を設置しています。「人間が生きていくなかで娯楽はなくてはならないものだ」との一三先生のお考えで すが、戦争中、劇場が閉鎖されていたときには、シベリアの奥深く、又、日本の各地で慰問公演をしていたと聞いておりますので、伝統の良いところは受け継い でいきたいと思います。
福田:こんなときだからこそ、娯楽が求められると思います。舞台を通じて夢と感動を与えて、日本を元気にしていただきたいです。本日はどうもありがとうございました。

プロフィール/小川甲子(おがわ・かつこ)

1960年宝塚音楽学校を主席で卒業後、「甲にしき」の芸名で宝塚歌劇団初舞台。63年「落日の砂丘」で大劇場初主役。65年パリ公演に参加。「小 さな花がひらいた」「永遠のカトレア」「哀愁のナイル」「浜千鳥」「アルルの女」「真夏のクリスマス」「この恋は雲の涯まで」など多数出演。74年のさよ なら公演で宝塚歌劇団退団。以降、テレビ・舞台に多数出演。87年芸能界引退。萬屋錦之介と結婚。2001年1月1日にリニュアルオープンした東京宝塚劇 場の支配人に就任。

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